ベトナム紙VnExpressの英語版が2026年9月25日、ハノイのソフィテル・レジェンド・メトロポール・ハノイを写真で追う記事を出した。開業は1901年で、今年が125周年。客室は358室、最上位の部屋は1泊で2億ドン近い。旅行者にとっての要点は室料ではなく、この建物の来歴が館内の見学コースとして歩ける形で残っている点だ。ただしその見学は誰でも申し込めるものではない。
開業1901年、正面80メートル超のホテルは何度も名前が変わった
創業はフランスの不動産会社、1920年には館内で映画を上映した
VnExpressによると、建物はかつて湖だった場所に建った。開業時はインドシナ最大のホテルで、当時の雑誌Revue Indo-Chinoiseは「巨大」と書いている。正面のファサードは80メートルを超える。手がけたのは教育行政官のギュスターヴ・エミール・デュムティエとフランス人投資家のアンドレ・デュカンで、Société Française Immobilièreというフランスの不動産会社の名義だった。
20世紀前半はハノイの上層階級の社交場になる。市内にまだ映画館がなかった1920年、館内のHotel Grand Caféで外国のサイレント映画が宿泊客に上映された。1936年には、上海で秘密裏に結婚したチャーリー・チャップリンが妻と新婚旅行で滞在している。
1940年代に中国人実業家へ売却、1954年から「トンニャット」
1940年代初め、フランス人オーナーはホテルを中国人実業家に売却した。1954年に平和が戻ったあと、メトロポールは「トンニャット(統一)ホテル」へ改称され、ハノイ市人民委員会の管理下でベトナム政府の賓客を受ける施設になる。1954年ごろに初めてハノイを訪れた作家グレアム・グリーンはここに泊まり、体験を小説『おとなしいアメリカ人』に書き込んだ。
1969年から1981年にかけては、複数の大使館の事務所と館員の住まいとして使われた。当時のハノイでは大使館の建物の多くが建て直しを要し、ホテルが外交官の住居に回った。特定の一国の公館になったわけではない。メトロポールの名が公式に戻るのは1990年代初めで、2年の休業をはさんで1992年3月に再開し、ハノイで最初期の外資合弁事業のひとつになった。1994年から1996年にはリー・タイ・トー通り側に新古典様式のオペラ棟が加わった。
プールの下から出てきた防空壕は、泊まった人だけが見学できる
2011年にバンブーバーの改修で再発見、2012年5月に公開された
旅程に効くのは、2011年の改修で見つかった地下の防空壕だ。公式サイトは、バンブーバーの改修中に技術チームが敷地の地下に埋もれていた戦時の壕を「再発見」したと書く。VnExpressでは天井高2メートル超、部屋6つ、出入口2つで、ひとつはプールの下、もうひとつはロビー付近に開くとある。
使われた時期と人物は、2つのソースで書き方が違う。VnExpressは1960年から1972年までとし、米国の俳優ジェーン・フォンダ、反戦運動家のトム・ヘイデン、オーストラリアの外交官ボブ・デヴァルーを挙げる。公式サイトは「1960年代から70年代」とし、歌手のジョーン・バエズとジェーン・フォンダを挙げる。壕は修復のうえ2012年5月に公開され、公式サイトによれば2013年にユネスコの文化遺産賞を受けた。
見学は毎日17時と18時、予約はコンシェルジュに入れる
日程を組むうえで外せないのがここだ。公式サイトはPath of Historyと防空壕の見学ツアーを宿泊者限定と明記している。実施は毎日17時と18時の2回、館の歴史担当スタッフが案内し、予約はコンシェルジュに申し込む。外から日帰りで見に行ける対象ではない。
358室の内訳と、1泊2億ドン近い部屋はヘリテージ棟にある
ヘリテージ棟103室とオペラ棟255室で合計358室
部屋数は発表文で内訳まで追える。2023年12月の公式発表は、改修を終えたヘリテージ棟を103室、オペラ棟を客室236室とスイート18室にグランド・プレステージ・スイート1室とする。足して358室で、VnExpressの数字と一致した。
| 区分 | 内容 |
|---|---|
| ヘリテージ棟 | 103室(ラグジュアリー54/グランドラグジュアリー40/メトロポール・スイート6/レジェンダリー3) |
| オペラ棟 | 255室(客室236/スイート18/グランド・プレステージ・スイート1) |
| 合計 | 358室 |
| 最上位の室料 | 1泊で2億ドン近く(約7,800米ドル) |
2億ドンは約121万円、1ドル=約25,600ドンで計算が合う
VnExpressは最上位の部屋を「2億ドン近く(7,800米ドル)」と書く。2億ドンを7,800ドルで割ると1ドル=約25,600ドンで、2026年9月26日時点の実勢である1ドル=約25,600〜26,000ドンの範囲に収まる。同じ日付で1円=約165ドンなので、2億ドンは約121万円だ。
名前付きのスイートは3室だけ
ヘリテージ棟のレジェンダリー・スイートは3室で、グレアム・グリーン、サマセット・モーム、チャーリー・チャップリンの名がつく。公式サイトは由来として、チャップリンの1936年の新婚旅行、グリーンの『おとなしいアメリカ人』、モームの旅行記「The Gentleman in the Parlour」を挙げる。同棟は21か月の工事を経て2023年12月に再開した。
来歴を室料に変えられたのは、記録が残っていたから
建物の古さではなく、誰が泊まったかの記録が効いている
125周年の企画は、過去をそのまま品名にしている。スパイスガーデンの「ゴールデンエラ・フォー」はスープを125時間煮出し、ル・ボーリューはロブスター・ビスクなど1世紀前の古典を組んだセットを出す。公式サイトによれば2026年末まで続く。
効いているのは建物の古さではない。誰がいつ泊まり、どの部屋で何を書き、どの壕に入ったかという記録が残っていた点だ。滞在年、小説の題名、壕を使った人物の名前——固有名があるから部屋に名を付けられ、見学コースが商品として立つ。記録の量が正反対の例として、当サイトのモダニズム建築の愛好家グループが15万人にという記事がある。名前も由来もほぼ残っていない無名の住宅を住民の話から1軒ずつ確かめる話で、同じ「古い建物」でも売り方が違ってくる。
ミシュランキーでは2キー、客室数は掲載元で364室とも出る
宿の格付けという軸では、2026年9月19日に出たミシュランキーがベトナムから21軒を選び、メトロポールは2キーに入っている(ミシュランキー2026でベトナム21軒)。内訳は3キーが2軒、2キーが4軒、1キーが15軒で、1キー15軒のうち8軒が初掲載だ。なお同記事はメトロポールの客室数を364室としており、ホテル公式とVnExpressの358室と一致しない。どちらの数え方かは予約時に確かめたい。設備とサービスで並ぶ順位と、地下に壕があるかどうかは別の軸だ。「建物の中を歩くこと」が目的なら、壕の見学枠から日程を組むほうが早い。
2026年9月にハノイへ行くなら、先に確かめる3点
オペラ棟は9月下旬まで段階的に改装中
公式サイトの総支配人名のメッセージは、オペラ棟で2026年9月下旬まで3段階に分けた改修を進めていると案内している。館内は通常営業を続け、オペラ棟ロビーのエレベーター5基はすべて稼働し、共用部とヘリテージ棟には影響しないとある。予約が9月末にかかるなら、どの棟のどの階になるかを確かめてから押さえたい。
住所と電話、チェックインは14時
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 住所 | 15 Ngo Quyen Street, Hoan Kiem Ward, Hanoi 100000 |
| 電話 | (+84) 243 826 6919 |
| メール | metropolehanoi.info@sofitel.com |
| チェックイン/アウト | 14:00/12:00(アコー公式ページ) |
| 立地 | フレンチ・クオーター、オペラハウスから徒歩圏 |
| 防空壕の見学 | 毎日17時・18時、宿泊者限定、コンシェルジュ予約 |
旧市街の街歩きと半日で組める
ホテルは旧市街の屋台と徒歩で行き来できる範囲にある。最初の半日の使い方は元ミス・ワールドがハノイで食べた4品で具体的に追える。歩道の腰掛けでフォー、ブンチャー、バインミー、バインクオンを回り、17時の壕の見学に戻る詰め方ができる。
泊まらない人がどこまで入れるかは、飲食とブティックで分かれる
宿泊者限定と書かれているのは壕の見学だけ
公式サイトで宿泊者限定と明示されているのは、Path of Historyと防空壕の見学だ。レストランとバー、ギフトショップのLa Boutique、デリと菓子のL’Epicerieは125周年企画の対象として案内され、宿泊とのセットという条件は書かれていない。個別の予約条件は載っていないので、席が必要なものは電話かメールで押さえる形になる。
部屋と同じメールで17時の枠を押さえておく
次の行動をひとつに絞るなら、ハノイ泊の日程が決まった時点で、部屋の問い合わせと同じメールにPath of Historyと防空壕ツアーの17時か18時の枠を入れてしまうことだ。宿泊者限定である以上、チェックイン後では埋まっている日が出る。


