教師も会社員も——若者がドンカータイトゥーをバーで蘇らせる夜

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教師、会社員、エンジニア、学生、工員――職業もバラバラな若者たちが、ホーチミンのバーで100年以上前の南部古典音楽を歌っている、というニュースが現地メディア Saigoneer に載りました。彼らのグループ名は「ドンカードーダイ(Đờn Ca Đó Đây=あちこちで演奏する、の意)」。演奏するのは、ベトナム南部・メコンデルタに根づく伝統音楽ドンカータイトゥーです。2025年3月に正式なグループとして立ち上がり、公園やカフェ、学校、そしてバーという「古典音楽らしからぬ場所」で演奏を続けています。日本の読者にとっては遠い国の一ジャンルの話に見えるかもしれませんが、これは落語や民謡、浪曲といった日本の伝統芸能がいま直面している課題と、驚くほどよく似た構図を持っています。

目次

職業音楽家がゼロの「素人集団」が主役

Saigoneer の記事によれば、ドンカードーダイを率いるのはドー・タイン・フォン(Đỗ Thanh Phong)さん。会社勤めのかたわら、独学で琴に似た撥弦楽器ダン・チャン(đàn tranh)を初心者レベルで弾きます。メンバー構成が象徴的です。教育向けの活動と台本づくりを担う教師、編曲と音楽面を仕切るのはドンタップ省出身でTikTok経由で加わった学生、ほかにエンジニアや工員。プロの音楽教育を受けた人は一人もいません。

きっかけはSNSでの出会いでした。2025年初頭にホーチミン中心部のレ・ヴァン・タム公園(Lê Văn Tám Park)でオフ会のように集まり始め、同年3月に演奏グループとして形になった。専門家が上から普及させたのではなく、好きな人がネットで見つけ合って手弁当で始めた点が、この動きの核心です。

ドンカータイトゥーとは何か

ドンカータイトゥー(Đờn ca tài tử)は、ベトナム南部で100年以上受け継がれてきた民俗音楽・歌の様式です。フエの宮廷儀礼音楽が、人々の南下とともに南部の風土に合わせて姿を変え、19世紀にメロディーと演奏技法が体系化されて最盛期を迎えたとされます。メコンデルタに暮らす人々の心情や生活を映し、しっとりとした情緒・郷愁を帯びた曲調が持ち味です。2013年にはユネスコの無形文化遺産(人類の無形文化遺産の代表一覧表)に登録されており、ベトナムを代表する伝統芸能のひとつに数えられます。

ただ、格の高さと若者への浸透は別問題です。記事は、若い世代からは「湿っぽい」「古くさい」「とっつきにくい」と受け止められがちだと率直に伝えています。無形文化遺産という肩書きがあっても、日常の音楽体験としては遠ざかっている――この温度差こそが、ドンカードーダイが埋めようとしている隙間です。

台本は会場ごとに書き換える

彼らのやり方で面白いのは、演目を固定しないところです。会場と客層に合わせて台本を毎回書き換え、観客とのやり取りを重視する。伝統旋律をベースにしつつ、キャリアの悩みや都市生活といった現代的なテーマを新しい歌詞に乗せる。ヴィンロンやカマウといった南部の地名を織り込んだ曲もつくります。古い器に、いまの暮らしの中身を注ぐ発想です。

活動は各地に散らばります。フン・マン・ダット通りにある「ハイ・トー・バー(Hai Tô Bar)」では土曜にカイルオン(改良劇=南部の伝統歌劇)を披露。ほかにもカフェ、学校、展示会、飲食店と、演奏場所を選びません。TikTokは発信と仲間集めの両輪で、ドンタップ省の学生を引き込んだのもこのプラットフォームでした。

日本の伝統芸能の現代化と重ねて読む

この動きは、日本で起きている伝統芸能の「現代化」といくつもの点で響き合います。まず思い浮かぶのが、民謡を軸に据えたバンド・民謡クルセイダーズです。日本各地の民謡をラテンやアフロビートと掛け合わせ、海外フェスでも演奏して若い聴衆を掘り起こしてきました。「古い旋律×別のリズム」という組み合わせで、耳になじみのない世代に届ける手法は、ドンカードーダイが伝統旋律に現代の歌詞を乗せる発想とよく似ています。

落語の世界にも近い構図があります。若手落語家が寄席という定席を大事にしながら、カフェやバー、動画配信へと高座を広げ、SNSで日常を発信して新しい客をつくる流れは、この10年で珍しくなくなりました。「本流の場所(寄席/官の会場)はなかなか若手や新しいやり方を優先してくれない」という悩みは、フォンさんの言葉とほぼ同じです。

浪曲も同様に、若手が小さなライブハウスや個人企画の会で復権を試みています。共通するのは、権威ある大舞台を待つのではなく、まず身近な場所で客と至近距離の関係をつくる、という順番です。ベトナムの若者が公園やバーから始めたのは、この「小さな場所を先に押さえる」戦略そのものと言えます。伝統の売り込み方については、全盲のマスターシェフが家族のベトナム料理を書き直す話のように、「継承しながら書き換える」姿勢がベトナムの各分野で同時多発的に起きていることも見えてきます。

データで見る「継承しながら書き換える」動き

ドンカードーダイの取り組みと、日本の伝統芸能の現代化を並べると、手法の共通点がはっきりします。

項目 ドンカードーダイ(越) 民謡クルセイダーズ/若手落語家(日)
担い手 会社員・教師・学生ら素人 プロ+兼業ミュージシャン・若手噺家
発表の場 公園・バー・カフェ・学校 フェス・ライブハウス・カフェ寄席
集客チャネル TikTok中心のSNS YouTube・SNS・配信
中身の更新 伝統旋律+現代の歌詞 民謡+別ジャンルのリズム、時事ネタの新作
最大の壁 演奏場所の確保・年配層の警戒 集客と定席の確保、世代間の温度差

肩書き(ユネスコ無形文化遺産/伝統話芸)だけでは若い客は動かず、日常の場所とネット動線を自前で用意してはじめて接点が生まれる――この構造はベトナムでも日本でも変わりません。

現地・周辺の反応

Saigoneer の記事からは、周囲の反応もいくつか読み取れます。第一に、活動を知った人々からアオ・バーバー(ao ba ba)やカーンドン(khăn đóng)、アオザイといった伝統衣装の寄付が全国から届いていること。第二に、越僑(ベトナム系海外同胞)とつながり、文化交流の企画が生まれていること。第三に、公共空間での演奏に年配の住民が足を止め、世代を越えた場ができていることです。

一方でフォンさんは壁も隠しません。「どこで演奏し、どう観客と交わるかが一番の悩みです。公式の会場は草の根の演者を優先してくれないので、活動はどうしても場当たり的で完全に独立独歩になる。それに年配の世代は、この古い芸術への私たちの新しいアプローチにまだ警戒しています」。称賛と警戒が同居しているのが実情で、ここも日本の若手が通る道と重なります。

日本の読者・事業者への示唆

この事例は、伝統文化を扱う日本の事業者や地域にとっても示唆に富みます。ポイントは三つです。

ひとつ目は「場所を下げる勇気」。文化ホールや定席という格の高い会場を待つのではなく、バーやカフェ、公園に降りていくことで新しい客層に届く。ふたつ目は「中身の翻訳」。原曲・原型をそのまま出すのではなく、いまの悩みや土地の話題に結び直すこと。ドンカードーダイがヴィンロンやカマウの地名を歌に織り込むように、地域名や生活実感を素材にすると当事者性が生まれます。三つ目は「ネットは告知でなく仲間集め」。TikTokで客を呼ぶだけでなく、担い手そのものをリクルートした点が効いています。

食文化の分野でも同じ発想は通用します。産地の食材や郷土食を「そのまま」売るのではなく、いまの食卓の悩みに翻訳して届ける――農産物や乾燥野菜、伝統的な加工品の売り方を考えるうえでも、この「継承しながら書き換える」姿勢はそのまま応用できます。

旅行者はどこで聴けるのか

ホーチミンを旅する人がドンカータイトゥーの生演奏に触れたい場合、以下が手がかりになります。演奏は場当たり的で日程が流動的なため、訪問前にSNSで最新情報を確認するのが前提です。

場所・機会 内容 ポイント
ハイ・トー・バー(フン・マン・ダット通り) 土曜にカイルオン(南部伝統歌劇)を上演 バーでくつろぎながら鑑賞できる。曜日限定なので事前確認を
レ・ヴァン・タム公園 非公式の集まり・練習を兼ねた演奏 無料で雰囲気に触れられるが日程は不定期
市内のカフェ・学校・展示会 不定期のポップアップ演奏 グループのTikTokで告知をチェック

より確実に南部の伝統芸能を楽しみたいなら、メコンデルタ(ミトーやカントー方面)のツアーでもドンカータイトゥーの演奏を組み込む例が多く、川辺の舟遊びとセットで聴けることがあります。ベトナムの文化体験を旅程に組み込みたい人は、ハノイのカフェが音楽をやめて朗読とアニメに切り替えた話のように、ベトナムのライブ文化がいま多様に動いていることも合わせて押さえておくと、現地での過ごし方の幅が広がります。旧市街を歩いて街の音に触れるなら、週末に歩行者天国化するハノイ旧市街の歩き方も参考になります。

まとめ:次にできること

ドンカードーダイの物語は、「無形文化遺産をどう次世代へ渡すか」という世界共通の問いに、素人集団が現場から答えを出している事例です。日本の落語・民謡・浪曲の現代化と並べれば、答えの輪郭が見えてきます。場所を下げ、中身を翻訳し、ネットで仲間を集める。この三点は、伝統芸能に限らず地域の食文化や地場産業の発信にもそのまま効きます。

旅行者として次にできることは具体的です。ホーチミンに行くなら、グループのTikTokで演奏予定を確認し、ハイ・トー・バーの土曜公演やメコンデルタツアーの伝統音楽枠を旅程に一つ組み込んでみる。生の演奏を聴き、投げ銭や衣装寄付といった草の根の支え方に触れれば、無形文化遺産が「保存された過去」ではなく「いま動いている文化」だと実感できるはずです。

参照元

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この記事を書いた人

ベトナム・ホーチミン在住3年目|旅行で来るだけでは知ることができない、現地にいるからこそわかるローカル情報を中心に発信していければと思いベトナム旅行の専門情報サイトを立ち上げました。

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