サイゴンのビアホイ(bia hơi)に腰を下ろすと、注文したビールより先に氷を詰めたグラスが運ばれてくる。よく冷えた一杯をわざわざ氷で割る——日本の感覚では手が止まるこの飲み方を、ホーチミン市の英語メディア「Saigoneer」が9月11日の寄稿で真正面から擁護した。ベトナムでビールを飲む人の75%が氷を入れて飲むという2019年のQ&Me調査を引きながら、これは邪道ではなく暑い土地なりに筋の通った選択だと論じている。旅行・出張・在住でベトナムの酒席に加わる日本人にとって、氷入りビールの理解は現地にもう一歩踏み込むための入口になる。
グラスに先に氷、ビールは後から注ぐ
Saigoneerの寄稿は、氷入りビールを見下す外国人の視線に対して五つの言い分を並べている。第一に、常温に近い状態で運ばれるビールを一気に冷やせること。第二に、カロリーのない氷を口に運ぶことで、なかなか進まない会話の合間に手持ち無沙汰を埋められること。第三に、同じ量を多くのグラスに分けるので何杯も飲んだ満足感が出ること。第四に、氷が溶けて薄まっていく速さが「次の一本を頼むタイミング」を知らせる砂時計になること。第五に、グラスの氷に静かに注げば炭酸の抜けを抑えられること。理屈より先に、この土地の気候と時間の流れに沿った作法だという主張だ。
ベトナム語では氷を「đá(ダー)」と呼び、店員に「cho đá」と言えば氷を足してくれる。屋台の サイゴンの日本式居酒屋 のように冷蔵が効いた店でも、地元客のテーブルには当たり前のように氷のバケツが置かれる。冷たいビールを供する設備の有無というより、飲み方そのものが文化として定着している。
75%という数字は2019年のQ&Me調査から
Saigoneerが引く75%は、ホーチミン市の市場調査会社Q&Meが2019年に公開した調査に基づく。ハノイとホーチミンを中心に682人のビール愛飲者へ尋ねたもので、「氷を入れると美味しい、あるいはどちらかといえば入れたい」と答えた人が約75%を占めた。実際の行動を尋ねた別の設問では、「たいていの場面で氷を入れる」と答えた人が79%にのぼり、「一度も入れない」はわずか5%だった。7年ほど前の調査で最新の統計ではないが、氷入りが少数派の変わり者ではなく多数派の標準だと示す数字になっている。
| 氷の入れ方 | 回答の割合 |
|---|---|
| 氷を入れると美味しい・どちらかといえば入れたい | 約75% |
| たいていの場面で実際に氷を入れる | 79% |
| 氷を一度も入れない | 5% |
出典はいずれも2019年のQ&Me調査(回答者682人)で、Saigoneerと英字紙VnExpressが報じた値が一致している。最新の統計ではない点は踏まえつつ読みたい。
暑さと氷屋の文化がビールの温度を決めた
ホーチミンは一年を通じて日中30度を超える日が多く、屋外のプラスチック椅子で飲む店では、注いだ瞬間からビールがぬるみ始める。氷をたっぷり使う習慣はビールに限らず、練乳入りの濃いコーヒーを氷で割る「cà phê đá」やサトウキビジュースの「nước mía」にも通じる。大きな氷柱を配達する氷屋が街の隅々まで根を張り、飲食店は氷を潤沢に使える。冷蔵庫が普及した今も、ぬるくなる前に飲み切るより、氷で冷やしながらゆっくり長居するスタイルが好まれてきた。
薄まるのが嫌なら、飲み手はこう対処している
氷入りに否定的な意見がないわけではない。地元の飲み手の間でも受け止めは割れている。よく聞かれるのは次のような声だ。第一に、クラフトビールや香りを楽しむ銘柄では氷を入れず、安い大衆ビールだからこそ薄めて数を飲むという使い分け。第二に、氷が溶ける前に飲み切ればいいだけで、薄まるのは飲むのが遅い人の問題だという反論。第三に、そもそも度数が4〜5%と軽く、暑さで汗をかく前提だから、薄めてちょうどよいという実感。飲み方は場所と銘柄で選び分けられている。
旅行者がサイゴンでビールを頼むときの一言
氷入りが標準だと知っておくと、現地の店で戸惑わずに済む。氷なしで飲みたいときは「không đá(ホン ダー=氷なし)」と伝えればいい。逆に地元流を試すなら、運ばれた氷のグラスにビールを半分ほど注ぎ、溶けてきたら注ぎ足す。衛生面が気になる人は、中心に穴の空いた円柱状の工場製氷(機械で作る飲用氷)を選ぶ店だと安心しやすく、砕いた不定形の氷しかない露店では無理をしないほうがいい。ベトナムの食文化は 読者投票で世界一位に選ばれた こともあるほど層が厚く、飲み方の作法もその一部として楽しめる。
ビアホイからクラフトまで、氷が分ける飲み方の地図
氷入り文化は、ベトナムのビール市場が「安く、大量に、長時間」で回ってきたことと切り離せない。一杯十数円から飲めるビアホイは、原価を抑えつつ回転と長居を両立させる商売で、氷はその潤滑油だった。一方、ここ数年で増えたサイゴンのクラフトビール店は、常温管理と適温提供を売りに氷を出さない路線を取る。氷を入れるかどうかは、価格帯と客層を映す境界線になっている。日本の飲食店がベトナム客を迎える際も、氷を求められて驚かないだけで印象が変わる。
氷入りビールを一度試すための持ち物リスト
現地で氷入りを体験するなら、覚えておくと役立つ言葉と目安がある。
- cho đá(チョー ダー)=氷をください
- không đá(ホン ダー)=氷はいりません
- một chai nữa(モッ チャイ ヌア)=もう一本
- 工場製の円柱氷がある店を選ぶと衛生面で安心しやすい
- 度数4〜5%の大衆ビールほど氷と相性がよい
屋台飯とビールを合わせるなら、サイゴンの名物バインミー のような塩気のある一皿を「nhậu(ナウ=つまみを囲む酒席)」の肴にすると、氷で薄めたビールがちょうどよく進む。
まず一杯、地元流で頼んでみる
氷入りビールは、ぬるくなる暑さと長居を楽しむ酒席が生んだ現地の合理だ。旅行者はまず一軒、地元客の多いビアホイで氷のグラスを受け取り、注いで薄めて飲んでみる。薄いと感じたら次の店ではクラフトを頼み、氷なしを試す。この飲み比べだけで、ベトナムのビールが価格と場所で二つの顔を持つことが体で分かる。氷を断るか受け入れるかは好みでよく、どちらも現地では正しい注文だ。
参照元:Saigoneer「In Defense of Ice in Beer」 / VnExpress(Q&Me調査の報道)
