ベトナム北部の海岸線に、堤防の外側の砂浜で立ったままになっている煉瓦の鐘楼がある。通称「ハイリーの崩れた教会」。この遺構が2026年9月、ニンビン省人民委員会から「気候変動の証跡区」という観光地として認定された。VnExpressは、ベトナムで最初の気候変動の証跡だと報じている。海に削られて捨てられた建物を、壊れたまま記録として残す決定だ。
波打ち際に立つ鐘楼が、9月に観光地として認定された
認定したのは省、日々の管理は社(コミューン)
9月21日付のVnExpressによると、認定したのはニンビン省人民委員会で、対象は鐘楼が波打ち際に立つ状態のハイリーの教会跡。運営はハイティエン社の人民委員会に任され、省の観光・財政・建設・農業環境の各部局と省公安が管理と安全確保で連携する枠組みになっている。見学できるのは外側だけで、安全のため建物の内部には立ち入れない。8月21日付のVnExpressによれば、壁の傷みが進んで崩落の恐れがあるとして、当局は敷地に柵を設け立入禁止の表示を出した。どこまで近づけるかは現地の掲示が基準になる。
1877年の聖心教会が、3度動かされて1996年に放棄された
正式な名前は聖心教会(Nhà thờ Trái Tim Chúa)。最初に建てられたのは1877年で、1917年に現在の位置で建て直され、1927年に完成した。完成から数えて99年になる。フランス人建築家によるゴシック様式で、敷地は9,300平方メートル超、建物は長さ47メートル・幅15メートル、鐘楼の高さは27メートル。海が迫るたびに信徒は教会を内陸へ移してきた。その回数を9月24日付のVnExpressは3度としている。1996年に旧聖堂は使われなくなった。いま残るのは鐘楼と基礎、壁の一部だけで、内部は住民が漁具置き場に使っている。
約12キロの堤防は、いつどこが壊れてきたのか
1925年・1990年・2005年に起きたこと
VnExpressがまとめた年表を追うと、この一帯が堤防と海のせめぎ合いの現場だったことが分かる。スオンディエンに人が住み着いたのは17世紀末から18世紀初めで、住民は堤防を築いて海側へ耕地を広げてきた。
| 年 | 起きたこと |
|---|---|
| 1864〜1885年 | グーハム堤(đê Ngự Hàm)が約12キロにわたって築かれる |
| 1877年 | 聖心教会が最初に建てられる |
| 1917〜1927年 | 現在地に建て直し、1927年に完成 |
| 1925年 | ハイリーの海に面した堤防のうち約3キロが決壊 |
| 1990年 | 堤防約1.5キロが壊れ、150メートル内陸へ引き下げられる |
| 1996年 | 旧聖堂が放棄される |
| 2005年 | 夏の大型の暴風で外側の堤防が破壊され、スオンディエン〜ヴァンリーで約700メートルの崩落区間ができる |
| 2026年9月 | ニンビン省人民委員会が「気候変動の証跡区」観光地として認定 |
100年で失われた0.5〜1キロの土地
VnExpressは、100年近い間にハイハウ沿岸で侵食により失われた土地を約0.5〜1キロと伝えている。スオンディエンの汀線は内陸側へ後退する傾向にあり、その要因として波・流れ・風・暴風の複合が挙げられ、気候変動はそのうちの一つの要素として位置づけられている。単一の原因に還元されていない点は、読むときに落としたくないところだ。
専門家と地元の役場は、この場所をどう説明しているか
地質研究者は鐘楼の位置そのものを資料と呼んでいる
ベトナム科学技術アカデミー地質研究所の元副所長であるヴー・カオ・ミン准教授は、鐘楼の現在位置そのものが汀線の変化と人の営みを示す痕跡だとして、「約100年前に建てられた建物が、いま堤防の外の砂浜に立っている。これは海岸線の変動の歴史を研究するうえで価値のある資料だ」「同時に、自然の影響を前に人が堤防を補強し続け、土地と生産を守ってきた過程を示している」と語っている。価値は残った建築だけでなく、汀線・海岸堤防・居住の歴史との関係にあるという見方だ。
建物を残すだけでは科学にも教育にもならない
同准教授はさらに、「証跡区の価値は建物を残すことだけにあるのではない。なぜその建物がそこにあるのか、汀線がどう変わり、人がどう対応してきたのかを住民が理解できるようにして初めて、科学・教育・観光の価値が出る」と述べている。展示や解説が伴わなければ、ただの映える廃墟で終わるという釘の刺し方でもある。
8月には20棟を超える無許可の店の撤去計画が動いていた
認定の1か月前、VnExpressは遺構の周囲を鉄骨とトタンの飲食店や仮設の小屋が取り囲み、基礎の上に煉瓦の壁まで積まれている状況を報じていた。ハイティエン社人民委員会のマイ・ドゥック・ギア副主席は、これらはいずれも住民が自発的に占拠して建てたもので、自治体が賃貸や入札に出したものではないと説明している。社は20棟を超える違反建築の解消計画を立て、8月に自主撤去を働きかけ、応じない世帯には9月に強制執行を予定するという段取りだった。撤去したあとは気候変動の証跡を守る場所として位置づけ、科学研究と環境教育、エコツーリズムに使う方針だと、社人民委員会の幹部はこの時点で語っていた。9月の認定は、この片づけと地続きの動きだった。
廃墟見物ではなく「記録の現場」として見に行くなら
イギリスのレカルバー、台湾の小林村と並ぶ位置づけ
VnExpressは、災害や侵食の痕跡を保存して研究・教育・観光に使う海外の例を並べている。
| 場所 | 残されているもの | きっかけ |
|---|---|---|
| イギリス・ケント州レカルバー村 | 聖マリア教会の双塔 | 海岸侵食の痕跡として保存 |
| アメリカ | 追悼空間・公園・保護区に残る痕跡 | 2005年のハリケーン・カトリーナ |
| 台湾・小林村 | 土石流と崩落の証跡公園 | 2009年の台風モラコット |
| ベトナム・ハイリー | 聖心教会の鐘楼と基礎 | 海岸侵食と堤防の後退 |
海辺の遺構が信仰と地続きになっている点は共通している
ベトナムの漁村では、海で見つかったものが信仰の対象として集落に残されることがある。リーソン島で漁師が神として祀る全長22メートルのクジラの骨は、博物館の収蔵品ではなく集落の暮らしの側にある。ハイリーの鐘楼も、宗教建築だったものが放棄された後も村の風景として残り続け、いまは行政の観光地の枠に入った。物としては壊れているのに、扱いだけが更新されていく。
ハノイから向かう前に決めておくこと
住所は「ニンビン省」、古い案内の「ナムディン省」と食い違う
この教会跡の所在地は、以前はナムディン省ハイハウ県ハイリー社だったが、現在はニンビン省ハイティエン社に属する。切り替えは表記に追いついていない。9月24日付のVnExpressでさえ、写真の説明では「ナムディンに来たときに」と旧称のまま書いている。地図アプリの検索や宿・車の手配で名前が噛み合わないことがあるので、ニンビン省ハイティエン社と旧ナムディン省ハイハウ県ハイリー社の両方を控えておくと現地で通じる。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 聖心教会(Nhà thờ Trái Tim Chúa)/通称 ハイリーの崩れた教会 |
| 所在地 | ニンビン省ハイティエン社・スオンディエン海岸(旧ナムディン省ハイハウ県ハイリー社) |
| 認定 | 2026年9月、ニンビン省人民委員会が「気候変動の証跡区」観光地として認定 |
| 管理 | ハイティエン社人民委員会。省の観光・財政・建設・農業環境の各部局と省公安が連携 |
| 見学範囲 | 外側のみ。安全確保のため建物内部には入れない |
| ハノイからの道 | 国道1A号から国道21号でナムディン方面へ、ドークアン橋を渡りハイティエン社方面 |
| 周辺で組み合わせられる場所 | フーニャイ教会、ブイチュー教会、ハイティエン海岸、ティンロン海水浴場、ハイハウの漁村 |
| 宿泊 | 周辺は漁村で、宿泊施設は整っていない |
泊まる場所がない村で朝日を待つなら、滞在の届出を確認しておく
写真を撮る人が集まるのは日の出と日の入りの時間帯で、そのために海産物を買い付ける住民の仮設小屋に泊めてもらう旅行者もいる、とVnExpressは書いている。網を引く作業を見たり漁村の暮らしを知ったりできる一方、外国人の滞在届出の扱いは正規の宿とは異なる。政令286号で外国人の滞在情報が当局へ即日共有される運用に変わっているので、民家に泊まる形になるなら誰が届け出るのかを先に確かめておきたい。VnExpressはハノイからの道順を書いているが、距離も所要時間も示していない。その日のうちに戻るか泊まるかは、移動時間を自分で当たってから決めたい。
次に行くなら、光と潮の時間を先に決めておく
この場所の見どころは建物の造形よりも、堤防の外に建物が立っているという位置関係にある。逆光で鐘楼のシルエットだけを撮って帰ると、その関係は写らない。堤防の上から汀線と鐘楼を同じ画面に入れる角度を先に決めておきたい。
自然条件が主役の場所は、行く時期で見えるものが変わる。水が満ちる季節のメコンと同じで、ハイリーも潮位と天気で見える景色が変わる。潮が引いたからといって内部に入れるようになるわけではないので、効くのは時間帯の使い方だけだ。次の一手として具体的に勧めたいのは、出発前にハイティエン社周辺の潮位と日の出時刻を調べ、日の出の1時間前に堤防の上に着く行程を組むこと。内部に入れない以上、外から見える情報量を最大にする組み立てが、この遺構にはいちばん効く。


