ニュージーランドから来た母親のKerri Kingさんと9歳の娘は、ベトナムに11日間滞在しながら、ハノイにもホーチミンにもフーコックにも行かなかった。11日間まるごと、中部の古都ホイアンだけで過ごした。周遊しない、移動しない、一カ所に根を張る。ベトナム旅行といえば「南北を縦断して数都市を回る」のが王道とされてきたなかで、この選択はある問いを投げかけている。観光地を数多く巡る旅と、ひとつの街を深く「暮らす」旅。日本からホイアンへ向かう旅行者にとっても、この話は他人事ではない。
NZ人母娘が選んだ「移動しない11日間」
ベトナム紙Thanh Nienが報じたところによると、Kingさん親子は当初から周遊を捨て、ホイアン一点に絞った。理由はシンプルで、都市から都市への移動にともなう荷造り・チェックアウト・空港や駅での待ち時間といった「旅の手間」を省き、ひとつの場所を底まで知りたかったからだという。
11日間で親子がしたことは、観光というより生活に近い。アンバンビーチで泳ぎ、黄色い壁の旧市街をブーゲンビリアの花の下で歩き、Thanh Ha陶芸村で小さな器を自分の手でひねった。Tra Que野菜村を訪ね、Phuc Kieuの鋳物村でキャンドルホルダーを買い、絹の村では竹の骨組みからランタンを手作りした。500人規模の野外公演「Memory of Hoi An」も観た。食ではカオラウと鶏飯(コムガー)に魅了され、ココナッツと練乳のコーヒーがお気に入りになり、King さん自身が働く先でベトナムコーヒーを取り寄せるまでになったという。Kingさんは「ホイアンには心惹かれるものが多すぎて、他の街を見逃しても後悔はない」と語った。
周遊型から滞在型へ スロートラベルという文脈
この11日間を一人の変わり者の話として片づけるのは早い。背景には、旅のスタイルそのものの変化がある。東南アジア最大級の旅行予約プラットフォームTravelokaは、2025年の旅のキーワードとして「スロートラベル」を挙げている。ひとつの場所にじっくり滞在し、自分のペースで過ごして心身をリセットする旅が、人混みを避ける層を中心に支持を広げているという流れだ。
ベトナムはこの流れと相性がいい。物価が比較的おさえられ、長く滞在しても費用がふくらみにくい。とりわけホイアンは、徒歩で完結する旧市街、近隣のビーチ、点在する工芸村が半径数キロにおさまっており、「移動せずに毎日違うことができる」希少な街だ。周遊型なら半日で通り過ぎる場所を、滞在型は何度でも訪ね直せる。同じカオラウの店に三度通えば、店主と顔なじみになる。Kingさん親子の心に最も残ったのも、観光名所ではなく、娘の髪を編んでくれたホテルスタッフや、旧友のように話しかけてくる仕立て屋の人柄だった。
周遊型と滞在型 何がどう違うのか
同じ日数でも、組み立て方で旅の中身は大きく変わる。検証できる範囲で両者の性格を並べてみる。
| 観点 | 周遊型(数都市を回る) | 滞在型(一カ所に連泊) |
|---|---|---|
| 移動の負担 | チェックアウト・荷造り・移動が頻繁 | 初日に荷を解けば以後は身軽 |
| 体験の深さ | 名所を広く浅く | 同じ街を反復して深く |
| 地元との関係 | 一期一会で終わりやすい | 顔なじみができる |
| 向く人 | 初ベトナム・全体像をつかみたい人 | 二度目以降・落ち着いて過ごしたい人 |
どちらが上ということではない。初めてのベトナムなら、ハノイの喧騒もホーチミンの活気もまず見ておきたい。滞在型が効いてくるのは、二度目以降の旅か、子連れ・年配同行など移動の負担を減らしたい旅だ。Kingさん親子が9歳の子連れだった点は示唆的で、幼い子を連れた長距離移動の繰り返しは、それだけで旅の体力を削る。
旅行者と現地の反応
滞在型を支持する声は一つではない。元記事のKingさんの「他を見逃しても後悔はない」という言葉が一つ。旅行メディア各社がホイアンのモデルコースで「半日では足りない、最低1〜2泊」と繰り返し勧めているのも、街の濃度を裏づける反応の一つだ。そしてホイアンが工芸村ツアーや「Memory of Hoi An」公演を年々拡充してきた事実自体が、長く滞在させるコンテンツを街ぐるみで増やしている証でもある。約25,000㎡の舞台に約500人が立ち、収容約3,300人というこの公演は、2018年の初演以来、日帰り客では拾いきれない「夜の体験」を提供してきた。
ホイアンが旅人を引き止める力は、店や人の温度にも宿る。旧市街には、英国コメディ「Mr.ビーン」に全振りした個性的なカフェのような寄り道スポットも生まれている(ホイアン旧市街でミスター・ビーン全振りカフェ)。一枚の古い写真をきっかけに28年越しの縁が再びつながった話も、この街らしい(ホイアンに残る1997年の写真 28年の縁)。こうした「もう一度会いに行ける」感覚が、連泊を後押しする。
日本人旅行者は連泊で何ができるか
日本からホイアンへ行くなら、最寄りはダナン国際空港だ。多くの旅程では「ダナン泊・ホイアンは日帰り」の組み立てが定番だが、Kingさん親子の旅はその逆を示している。ホイアンに腰を据えて、ダナンを日帰りで使う発想だ。
連泊が3泊4日あれば、できることは一気に増える。1日目は旧市街を歩いてカオラウとコムガーの店を当たりにつけ、2日目はThanh Ha陶芸村やTra Que野菜村で手を動かす体験に半日かける。3日目は朝にアンバンビーチ、夜に「Memory of Hoi An」公演という具合に、昼と夜で表情の違う街を両取りできる。日帰りでは諦めるしかない「夜のランタンの灯り」や「翌朝の静かな旧市街」も、泊まればこそ味わえる。陶芸の体験は、隣町ダナンにも新しい陶芸村が生まれており、ものづくりを軸に旅を組むなら選択肢が広がっている(ダナンに陶芸村が誕生 土産を自分で作る)。
連泊のもう一つの利点は、土産の質が変わることだ。慌てて買い込むのではなく、自分でひねった器や手作りのランタンを「持ち帰る土産」にできる。買うより作る。これは滞在型でしか得られない持ち帰り方だ。
観光トレンドへの波及
ホイアンの滞在型シフトは、ベトナム観光全体の方向とも噛み合っている。ベトナムの主要観光地はアジアの人気スポットとして名を上げ続けており、訪れる側も「行った」という事実より「どう過ごしたか」を重視し始めている(ベトナム3名所がアジア人気スポット入り)。一カ所連泊が増えれば、街は工芸体験・公演・食といった「滞在中に消費されるコンテンツ」をさらに磨く。日帰りバスで通り過ぎる客より、3泊する客のほうが街に落ちるお金も交流も深い。観光地にとっても、滞在型は無視できない流れになりつつある。
ホイアン連泊 実用情報
連泊を前提にホイアンを過ごすなら、おさえておきたいポイントを表にまとめた。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| アクセス | 最寄りはダナン国際空港。空港からホイアン旧市街まで車で30〜40分程度が目安 |
| 泊まる場所 | 旧市街のブティックホテルか、郊外のビーチ沿いリゾート。連泊なら両方を分けて泊まるのも一案 |
| 工芸体験 | Thanh Ha陶芸村(500年以上の歴史)、Tra Que野菜村、絹の村でのランタン作りなど |
| 夜の見どころ | 「Memory of Hoi An」公演(約500人出演/収容約3,300人)、旧市街のランタン |
| 食べるもの | カオラウ、鶏飯(コムガー)、ココナッツ・練乳コーヒー |
| 向く日数 | 滞在型なら3泊以上が活きる。半日では街の半分も見えない |
まとめ
11日間ホイアンだけ、という旅は極端に見えて、旅のものさしが「数」から「深さ」へ移りつつあることを言い当てている。周遊型をやめろという話ではない。初ベトナムなら回ればいい。ただ、二度目の旅や、子連れ・年配同行で移動を減らしたい旅、そして「もう一度同じ街に会いに行きたい」と思える旅には、連泊という選択肢がある。ホイアンは、移動しないことで初めて見えてくる街だ。次にベトナムへ向かうとき、行き先の数を一つ減らして、その分どこかに長く留まってみる。Kingさん親子の11日間は、そんな旅の引き算を静かに勧めている。
