ホーチミン市のミシュラン一つ星「アナン・サイゴン(Anan Saigon)」が出す和牛入りバインミーが、1個8ドル(約1,200円)という値付けで賛否を呼んでいる。屋台のバインミーが1ドル前後(120〜180円)で買える街で、同じ料理が約10倍の価格をつけたことに、地元メディアには「安さこそバインミーの本質」という声と「バーガーが8ドルなら妥当」という声が並んだ。旅行者・在住者の視点で、この一皿が高いのか安いのかを物価の文脈で整理する。(為替は1USD≒150円で換算。ベトナムドンは1ドル≒2万5,000ドン前後で計算した)
VND20万の和牛バインミーは屋台の約10倍。中身は24時間煮込みの牛肉
話題の店はホーチミン1区にあるアナン・サイゴン。ベトナム系アメリカ人のピーター・クオン・フランクリン氏がオーナーシェフを務め、2023年にミシュラン一つ星を獲得、2026年も星を維持している。同店のバインミーは3種類で、いずれも通常のバゲットの半分ほどの大きさだ。
- 和牛バインミー:VND200,000(約8ドル=約1,200円)
- ベトナム風モルタデッラハム:VND180,000(約7.2ドル=約1,080円)
- フィッシュケーキ:VND180,000(約1,080円)
VnExpressの報道によると、和牛バインミーにはピカーニャ(牛の腰上部の希少部位)を25〜30枚に薄くスライスしたものと、24時間かけて低温で煮込んでから焼き上げた和牛の骨付きバラ肉が使われる。パンはサイゴンの一般的なバゲットではなく、より小ぶりで香りの立つハノイ式。この生地のレシピ開発だけで10年をかけたという。フランクリン氏は同紙に「VND200,000のサイズは通常の半分だが、牛肉をたっぷり使っているので満足感は変わらない」と語っている。
「安さこそ本質」派と「バーガーが8ドルなら妥当」派が真っ二つ
論争の火種は、庶民の日常食を高級店が作り変えたことへの違和感だ。VnExpressに寄せられた読者コメントには「手頃な料理を贅沢品に変えないでほしい。バインミーの真髄は、低価格でも栄養と味を届けるところにある」という反対意見や、「働く人にはブタ肉やハム、パテを詰め込んだ法外な値段のバインミーは要らない」という声があった。
一方で、丁寧な仕込みと素材を評価して8ドルは妥当だとする支持派もいる。フランクリン氏自身は「バーガーがVND200,000〜250,000で売れるなら、バインミーも同じ値段に十分値する。味も品質も引けを取らない」と反論する。ホーチミン市文化大学のレ・ティ・タン・トゥイ副学長は同紙に「高価で再解釈されたバインミーが、伝統的なバインミーから何かを奪うわけではない」「革新は多様化する消費者と市場の需要への自然な応答だ」とコメントしている。
この構図は、伝統食を「守るべき安価な文化」と見るか「進化する余地のある素材」と見るかの違いに行き着く。文化研究者のニャム・フン氏が同紙で述べた「ベトナムのバインミーの生命力は、文化的な交流と進化にある」という視点は、後者を代表する。
屋台1ドルとミシュランが同居する、二極化するホーチミンの外食
8ドルという数字が刺激的なのは、ベトナムの外食が急速に二極化しているからだ。屋台のバインミーは今も0.8〜1.2ドル(120〜180円)で、ローカルの人気チェーンでもVND40,000〜50,000程度。その一方で、同じホーチミンには高価格帯のバインミー専門店も現れている。VnExpressが挙げたグエン・シン・ビストロでは、プレミアムなバインミーが10ドル超(約1,500円)、鉄鍋で供する「バインミー・チャオ」は13ドル超(約1,950円)で提供される。
| 種類・店 | 価格(ドン/ドル) | Yen conversion |
|---|---|---|
| 屋台のバインミー | 約0.8〜1.2ドル | About 120–180 yen |
| 人気ローカルチェーン | VND40,000〜50,000 | 約240〜300円 |
| グエン・シン・ビストロ(コールドカット) | 約4.5ドル | 約680円 |
| アナン・サイゴン(和牛) | VND200,000/約8ドル | About 1,200 yen |
| グエン・シン・ビストロ(バインミー・チャオ) | 約13ドル超 | About 1,950 yen |
背景には、外食に「体験」や安全性を求める層の広がりがある。イプソス・ベトナムとユニリーバ・フード・ソリューションズがまとめた2026年版「フューチャー・メニュー」レポートでは、回答者の62%が、丁寧に調理され食品衛生基準を満たし、良い環境で提供されるなら、慣れ親しんだ料理に高い金額を払ってもよいと答えたという。屋台のバインミーは各地で食中毒の報告が続いており、高価格帯の店が打ち出す衛生管理や仕込みの手間は、この62%に向けた訴求でもある。屋台バインミーの安全性はクアンチ省などで相次いだ食中毒のケースにも表れている。
日本人には高いのか安いのか。コンビニ398円との距離感
旅行者の実感に落とし込むと、8ドル=1,200円という価格は、日本の感覚では「駅ナカのちょっと良いサンドイッチ」程度で、目を剥くほどではない。むしろ驚くのは、同じ料理が現地では10倍以上の価格差の中に置かれている点だ。屋台で120円のものが、ミシュラン店では1,200円になる。この幅の広さそのものが、ホーチミンの食のいまを映している。
日本での基準点も動いている。セブン-イレブンが全国でバインミーを発売し、スイートチリソースのバインミーは398円で棚に並んだ。コンビニの398円と、ホーチミンの屋台120円、ミシュランの1,200円。この3つを並べると、バインミーがどれだけ広い価格帯に広がったかが見える。詳しくはセブンのバインミーが面白い理由で触れている。
旅行者への実務的な示唆はシンプルだ。屋台の1ドルバインミーは今も健在で、これはこれで体験する価値がある。ただし、記念日やちょっと贅沢したい日に「バインミーで1,200円」という選択肢が生まれたと考えれば、8ドルは高いというより、選べる幅が増えたと捉える方が実態に近い。どの層で食べるかは旅程と気分次第で、ホーチミンでの店選び全体はホーチミンの食事おすすめ完全版にまとめている。
まとめ:8ドルは「高い」ではなく「幅が広がった」
アナン・サイゴンの和牛バインミーが投げかけたのは、値段の是非というより、庶民食がどこまで姿を変えてよいのかという問いだ。10年かけたパン生地と24時間煮込みの和牛に1,200円を払う人がいる一方で、屋台の120円こそがバインミーだと考える人もいる。両方が同じ街に共存し、日本ではコンビニが398円で参入している。バインミーは今、屋台からミシュランまで、これまでになく広い価格帯に立っている。
