ベンタイン市場から歩けるホーチミン1区の路地に、魚醤やフォー、ブンボーフエの香りをそのまま冷たいジェラートに移す店がある。夫婦で営む「シュガーダディ・イータリー」だ。サイゴンで甘いだけのデザートに飽きた旅行者や、現地の食材を別の角度から知りたい在住者に向けて、この店の作りと訪ね方、そして注文の勘どころを整理する。
魚醤・フォー・ブンボーフエが12種のなかに並ぶ
店に常時あるのは12種のジェラート。定番のミルクやチョコレートに混じって、魚醤(ヌクマム)、醤油、フォー、ブンボーフエといった食事の味が並ぶ。魚醤味はキャラメルと合わせて塩気の角を落とし、醤油味は李錦記の醤油に味噌を重ねてコクを足す。フォー味はシナモン・八角・黒カルダモンの香りで麺料理のスープを思わせ、ブンボーフエ味はレモングラスが前に立つ。ほかにミソと焦がしバター、オレンジとビールといった組み合わせもあり、味の顔ぶれは入れ替わる。
肝は「肉を使わない」ところにある。麺料理のスープを煮出して混ぜるのではなく、ハーブと香辛料を牛乳で炊いて香りだけを移す。だから食事の記憶を呼ぶのに、口に入るのは軽く甘いジェラートという落差が生まれる。サイゴンで肉を外す発想は珍しくなく、3区には40年続く精進フォーの専門店もある。シュガーダディはその引き算の手法をデザートに持ち込んだ形だ。
ラスベガスで学んだ夫が2020年に始めた家業
店を切り盛りするのはダインとヴィーの夫婦で、ダインの母も接客を手伝う。ダインはラスベガスでホスピタリティを学び、帰国後にジェラート作りの講習を受けて、3カ月後の2020年5月に開店した。個人の思いつきから始めた店が、麺料理の香りを移す独自の作りで少しずつ知られ、2025年には家族の住まいを広げた場所へ移って、いまの路地奥の店になった。観光の中心から近いのに、たどり着くには路地を一本入る立地も、静かに続けてきた家業らしさを残す。
扱うのはジェラートだけではない。五香粉を効かせた豚まん、チキンウィング、タコス、スフレパンケーキといった軽食も出し、食事から甘味まで一軒で足りる。奇抜な店名と裏腹に、家族3人で回す小さな家業で、席数も多くない。話題づくりのために変わり種を並べているというより、身近な調味料や麺料理をそのまま素材として使い切っている印象が強い。
「香りは濃いのに軽い」——実食客の受け止め
実際に食べた客の間では、フォー味について「スープの香りははっきり出るのに、口当たりは軽くて甘い」という受け止めが多い。八角やシナモンが鼻に抜けた直後に、冷たいミルクの甘さが追いかけてくる作りで、食事の味とデザートの境目を一口のなかで行き来する。魚醤や醤油の味も、塩辛さがそのまま来るのではなく、甘みの土台に少しの旨みと塩気が乗る配分に整えられている。だから写真映えの一発ネタとして消費されるのではなく、香りの出し方や甘さとの釣り合いを確かめに再訪する客がつく。初めての一種で身構える人ほど、二種目を頼みたくなる並びだ。
甘くない一杯が旅の食体験を1本増やす
日本の旅行者にとって、この店の価値は「珍しい味」そのものより、サイゴンの食材を別の温度で確かめられる点にある。屋台でフォーやブンボーフエを食べた後に同じ香りをデザートでたどると、あのスープに何が入っていたのかが舌で分解できる。魚醤や醤油がどんな塩気なのかを、辛さや脂を挟まずに単体で味わえるのも、帰国後に話せる土産になる。子ども連れなら、辛くないぶん一緒に食べ比べられるのもありがたい。
サイゴンでは食の定番を組み替える動きが続いている。フォーを13皿のコースに仕立てたおまかせフォーや、8ドルの値付けで論争になった和牛バインミーのように、値段や器で驚かせる例が目立つ。そのなかでシュガーダディは1人100,000ドン(約570円)以下で収まり、高い体験を売るのではなく、日常の食材を組み替えて見せるところに軸足がある。旅程に入れても財布と胃袋の負担が軽いのも利点だ。
行き方と注文の実用メモ
- 住所: 345/29 Trần Hưng Đạo(1区カウオンライン坊)。ベンタイン市場から徒歩圏の、路地を入った奥にある。
- 営業時間: 14時〜22時。日中は閉まっているので夕方以降に合わせる。
- 予算: 1人100,000ドン(約570円)以下。支払いは現金と銀行振込に対応。
- 移動: 駐車はバイクのみ。タクシーや配車アプリで路地の入口まで行き、あとは歩いて向かうのが無難。
- 注文: まず食事系の味を1種、甘い定番を1種の食べ比べが分かりやすい。持ち帰りはShopeeFoodのデリバリーにも対応する。
魚醤やフォーの味を冷たいデザートで確かめる時間は、屋台巡りとは別の入口になる。夕方にベンタイン周辺を歩くなら、路地の奥のこの一杯を一日の締めに置いてみるといい。食べてきたスープの正体が、後から静かに腑に落ちる。
