フエの旧市街から車で10分ほど、ヴィダ地区のグエン・ロー・チャック通り78番地。トタン屋根の下で77歳のサさんが炊くのは、赤みがかった米のお粥に甘辛く煮た小魚をのせた「チャオ・ガオ・ドー(赤米のお粥)」だ。1杯1万ドン、日本円でおよそ55円。地元紙トゥオイチェが8月17日に伝えたこの朝食は、観光ガイドにはまず出てこない。早朝のフエをローカルに歩きたい旅行者と、味の当たりを増やしたいフエ在住者。この一杯は、その両方に効く。
ヴィダ地区78番地、トタン屋根の下に鍋は二つだけ
サさんの店に看板はない。自宅の前に張り出した小さなトタン屋根、その下に置かれるのは粥の鍋と煮魚の鍋の二つきりだ。開店は毎朝6時ごろ。近所の常連が入れ替わり立ち寄り、器を空にして仕事や学校へ散っていく。40年近く、彼女はこの場所で同じ朝食を出し続けてきた。行列を作る仕掛けも、SNS映えの演出もない。味を覚えた人がまた来る、それだけで一日の鍋がなくなる。
フエの朝食といえば、真っ赤なスープのブンボーフエや米粉菓子が旅行者の定番になっている。サさんの赤米粥は、その賑わいの一本裏にある。だからこそ、地元の生活時間に半歩入り込みたい人には狙い目になる。
赤米「ヘオザン」と指ほどの魚、フエだけの組み合わせ
粥の色を決めるのは米そのものだ。サさんが使うのはフエ周辺で育つ「ヘオザン」や「チエム」と呼ばれる在来の品種で、精米を強くかけず薄いぬか層を残す。この一層が、赤みと香ばしさを生む。炊くときは米粒が崩れないよう、かき混ぜすぎないことに気をつけるという。白粥のとろりとした均一さとは違い、粒の輪郭が舌に残る炊き上がりになる。
のせる魚は指ほどの小魚だ。ヌクマム(魚醤)、塩、こしょう、砂糖、唐辛子で下味をつけ、豚の脂と赤唐辛子を合わせてタレが煮詰まるまで火を入れる。甘さ、塩気、辛さが層になった「カー・コー・ケオ(甘辛煮の魚)」が、素朴な赤米粥に骨格を与える。粥だけなら地味だが、この煮魚が一匙ごとに味を立て直す。宮廷料理の街として知られるフエだが、その足元にはこうした庶民の一皿が根を張っている。
1杯1万ドンが40年続く理由は、常連の「おいしい?」
値段は1杯1万ドン。1USD=148円、1円=175ドン前後で換算すると、日本円でおよそ55〜57円になる(為替は変動、概算)。この一杯に赤米粥と甘辛煮の魚がつく。原価も手間も上がり続けるベトナムで、この価格を40年近く保つのは経営というより、続けることそのものが目的の商いに近い。
サさんが常連にかける決まり文句は「おいしい?」。器を受け取るたびに交わされるこの一言が、店の看板の代わりになっている。旅行者にとっては、その言葉に頷くだけで会話が始まる。値段の安さより、この距離の近さがフエの朝の記憶に残る。
店を支えているのは、味を覚えた近所の常連だ。派手な観光客が押し寄せる店ではなく、40年かけて積み上げた顔なじみの往来が一日の鍋を回している。旅行者がその輪に混ざれるのは、朝の短い時間だけ。だからこそ、混雑した名店を一つ削ってでも、この静かな一杯に一枠を割く価値がある。器の底まで食べ終える頃には、フエという街の温度が少し違って感じられるはずだ。
ブンボーフエの陰にある、フエの朝をもう一皿ぶん深く歩く
フエの朝食を計画するなら、賑わいの中心と生活の裏側を組み合わせたい。記録認定で話題になったフエのブンボーフエが街の看板の朝食なら、サさんの赤米粥は同じ街の名前の知られない朝食にあたる。両方を一日でたどると、同じフエでも見える顔がまるで変わる。麺と米粉菓子を安く食べ歩くフエの食べ歩きルートに、この一杯を朝いちばんの起点として足すのが現実的だ。1万ドンの粥から始めれば、その日の胃も財布も余裕が持てる。
安くて早い朝の一杯という点では、フエに限った話でもない。旧タイビンの朝市で午前2時起きで炊かれる62円の重ね餅のように、ベトナムの地方には夜明けとともに立ち上がり、昼前には消える朝食文化が各地に残る。サさんの店もその一つで、遅い時間に着いても鍋はもう空だ。行くなら朝が全てを決める。
朝6時に間に合わせる、赤米粥の回り方
この一杯を狙うなら、動く順番と時間を先に決めておくと外さない。
- Location:グエン・ロー・チャック通り78番地、ヴィダ地区(フエ市街から車・バイクで約10分)
- Time:朝6時ごろから。地方の朝市同様、売り切れ次第終了と考えて早めに向かう
- 値段:1杯1万ドン(およそ55〜57円)。少額紙幣を用意しておくと会計が早い
- 頼み方:赤米粥に甘辛煮の魚がのった基本形が一杯完結の形。辛さが強めなので、苦手なら魚を控えめにもらう
- Combination:粥で軽く始め、旧市街へ移動して麺や米粉菓子へつなぐと、フエの朝を無理なく二〜三皿回せる
看板のない路地の一杯は、地図アプリの星の数では出てこない。サさんの「おいしい?」に頷ける旅程を朝に一つ入れておくと、フエの滞在は宮廷の壮麗さだけで終わらなくなる。次にフエへ発つなら、初日の起床時間を6時に合わせておきたい。
