ハノイ中心部、西湖のほど近くにあるトゥイクエ通り。その29番の路地を50メートルほど入ると、白い蒸し布から湯気が立ちのぼる小さな屋台がある。ここで出されるバインクオン(米粉を薄く蒸したベトナム版クレープ)は一皿15,000ドン、日本円にして約86円だ。周辺の同じ料理がおよそ30,000ドン(約171円)する中で、半値で朝食が食べられる。VnExpressが伝えたこの夫婦の店は、値段そのものより、値段を動かさずに70年続けてきた事実で人を惹きつけている。ハノイに滞在する日本人が、観光地価格ではない地元の朝を体験したいときの手がかりになる一軒だ。
29番路地の奥で夫婦が別々の屋台を出す
店を切り盛りするのは、路地の入り口で生地を蒸すグエン・ティ・トゥ・ハーさん(61)と、そこから100メートル以上離れた二つ目の屋台に立つ夫のファム・ヴァン・チンさん(65)。一つの家族の店でありながら、夫婦がそれぞれ別の場所で同じバインクオンを焼く珍しい形をとっている。朝の混雑を分散させ、路地の両端で常連を受け止める狙いだ。
ハーさんは沸騰した湯を張った鍋の上に白い布を張り、そこへ水で溶いた米粉を薄く広げる。数十秒で蒸し上がった生地を竹の棒ですくい、キクラゲと炒めた豚肉を巻き込む。揚げエシャロットも自分で作る。工程はすべて手作業で、機械化された大量生産の店とは仕上がりの薄さが違う。
15,000ドンを70年ほぼ動かさなかった
この屋台の始まりは1950年代までさかのぼる。最初に店を開いたのはチンさんの母で、夫婦が事業を引き継いだのは1980年代半ば。母の代から数えれば約70年、夫婦の代でも40年近い歴史がある。ハノイの物価はこの間に何倍にもなったが、一皿の価格はごく緩やかにしか上げてこなかった。
安さの土台にあるのは、家族経営で人件費を抱えず、仕入れも自分たちで最小限に絞る運営だ。バインクオン単品が15,000ドン、付け合わせのつみれ(チャー)が5,000ドン(約29円)。観光客向けの店なら一人前で数万ドンになる料理を、地元の勤め人が毎朝立ち寄れる価格に抑えている。夜明け前の午前4時に起きて仕込みを始め、午前6時から11時か12時まで店を開ける。最も混むのは午前7時から8時半で、出勤前の常連が入れ替わり立ち寄る。
近隣の相場と並べた一杯の安さ
価格の位置づけを、日本円の目安と一緒に並べてみる。為替は2026年9月時点でおよそ1円=175ドン、1万ドン=約57円で換算した。
| 品目・項目 | 価格(ドン) | Yen guide |
|---|---|---|
| この店のバインクオン | 15,000 | 約86円 |
| 付け合わせのチャー(つみれ) | 5,000 | 約29円 |
| ハノイの同料理の平均的な相場 | 約30,000 | 約171円 |
| Hours | 6時〜11時または12時(混雑は7〜8時半) | |
| 常連の割合 | 来客の約70%が数十年来の顧客 | |
数字を並べると、この一杯が相場の半値で、しかも手蒸しの手間をかけている位置にあることが見える。安さは品質の妥協ではなく、家族で工程を抱え込むことで成り立っている。
Googleに4.7点、それでも「狭い」と書かれる
店の評価は割れている。Googleのレビューは5点満点で4.7点と高く、「値段に対して質が高い」という声が目立つ。数十年通う客が来客の約7割を占め、味と価格への信頼が固定客を生んでいる。
一方で、路地の奥にある屋台のため、座る場所は狭く、椅子は路上に並ぶ簡素なもの。「空間が窮屈だ」という指摘も残る。清潔な店内やエアコンを期待する旅行者には向かない。ここで交わされるのは、味と値段に納得した人が黙って通い続ける関係で、快適さを売る店ではない。旅行者がこの温度差を先に知っておけば、路地裏の朝食で戸惑わずに済む。
旅行者が自分の行きつけを見つけるには
この店が示すのは、ハノイで満足度の高い朝食を探すときの見分け方だ。観光ガイドに載る有名店に列ぶのも一つだが、地元の勤め人が出勤前に立ち寄る時間帯の路地には、値段と味の釣り合いが取れた店が残っている。判断材料は三つに絞れる。
まず、朝7〜8時台に地元客で席が回っているか。次に、生地をその場で手蒸ししているか、作り置きを温め直しているか。最後に、価格が観光地相場(数万ドン)ではなく地元相場(1万〜2万ドン台)に収まっているか。ハノイの朝食文化は、フォーやバインミーだけでなく、こうしたバインクオンの屋台にも厚みがある。列に並ぶ有名店と、地元に溶け込んだ路地の店を両方回ると、同じ都市の食の幅が見えてくる。
値上げが続くベトナムで、原材料も光熱費も上がる中、価格を据え置く店は経営としては綱渡りだ。それでも夫婦がこの値段を守るのは、常連との長い関係が売上の土台になっているからだろう。旅行者にとっては、その土台に一度だけ混ぜてもらう体験になる。
訪ねる時間と路地までの歩き方
訪ねるなら、混雑がやわらぐ午前9時前後か、活気を味わいたいなら7〜8時台。場所はトゥイクエ通り29番の路地を、通りから50メートルほど入った先。夫婦で二つの屋台を出しているため、入り口で見つからなければ路地を奥へ進むともう一軒がある。支払いは現金が確実で、1万ドン札と5千ドン札を用意しておくと会計がスムーズだ。ベトナムの朝の路地は歩道にバイクが並ぶので、荷物は前に抱えて歩くと安心できる。
ハノイの朝食をもっと掘りたい人は、フォーの名店巡りの記事(ハノイのフォー、国慶節の朝に老舗とミシュラン店へ列が伸びた)や、家業を継いだ食の物語(ミシュラン3年連続のうなぎ春雨、娘が米国のネイル店を閉じて継いだ)も合わせて読むと、この街の食の奥行きがつかめる。屋台と行列店の値段差を比べたいなら、サイゴンで2030円の鉄板バインミー、屋台の6〜10倍でも行列が続くも手がかりになる。
次にハノイの朝を迎えるとき、ホテルのビュッフェを一度抜けて、この路地まで歩いてみてほしい。86円の一皿は、値段以上に、その街に長く根を張った人の時間を味わう朝食になる。
参照元: VnExpress「Hàng bánh cuốn ‘vợ chồng’ bán giá 15.000 đồng trong ngõ ở Hà Nội」
