ベトナムの木製サンダル「グォックモック(guốc mộc)」は、かつて母や祖母が履いていた古い履物というイメージが強い。その工芸が、いまホーチミンの市場で「目の前で自分の一足を削ってもらう体験」として若い世代や旅行者を集めている。約1,000キロ離れた街からわざわざ通う客まで現れた。SNSから火がついた現場を追った。
タンディン市場でヒール1〜15cmの木靴を15〜20分で仕上げる
ベトナム紙ダンチが2026年7月23日に報じたのは、ホーチミンのタンディン市場(Chợ Tân Định)で木製サンダル作り体験がトレンド化しているという話だ。市場はタンディン地区のハイバーチュン通りにあり、1926年開設、約7,000平方メートルに約400の店舗が並ぶ。この一角で、客が木底のデザイン、ストラップの種類、ヒールの高さを選ぶと、職人がその場でサンダルを組み上げていく。ヒールは1センチから15センチまで選べ、完成までおよそ15〜20分。既製品を棚から選ぶのではなく、自分の足のための一足が組まれる過程を見届ける——この「作られる時間」を売っている点が従来の土産物店と違う。
ダナンから約1,000km、1足25万ドンで種類の豊富さを求めて通う客
ダンチの記事で象徴的に紹介されているのが、ダナンからおよそ1,000キロを移動してこの体験のために訪れたラン・ヴィ氏だ。木靴の産地として知られるホイアンにも売り手はいるが、彼女は「ここのほうが種類がずっと豊富」だと語り、伝統的な履物が現代的な服装にも合わせやすい点を評価した。産地に近い場所に住んでいてもなお、選択肢の多さと体験の質を求めて大都市の市場まで足を運ぶ。値段は1足あたりおよそ25万ドン、日本円にすると約1,470円だ(1円≈170ドンの目安で換算)。手仕事のカスタムメイドで作る過程まで見られる体験としては、旅行者の感覚でも手が届きやすい。繁忙日には1日20足以上売れる店もあると店主は話している。ダナンからホーチミンは、日本でいえば東京から広島に近い移動だ。それだけの吸引力を「その場で作る」という体験のかたちが生んでいる。
2025年後半のSNS動画で火がつき、売上が3〜4割伸びた
ブームの起点は明確だ。2025年後半、客が素材を選び、目の前で木靴が組み上げられていく動画がSNSで拡散して火がついた。最初に集まったのは主に外国人観光客だったが、ここ2〜3か月でベトナム人の来店が大きく増えたという。店主によれば、ブームが始まってから売上は3〜4割伸びた。「外国人が見つけて、あとから地元が追いかける」順番は、ベトナムの体験型観光でしばしば見られる。木底を削り、ストラップを合わせ、ヒールの高さを決める15〜20分は、そのまま撮影に向いた工程でもあり、動画一本に収まりやすい。工芸を『見て買う』から『作って持ち帰る』へ引き上げると、共有しやすい映像が生まれ、それがさらに客を呼ぶ。ハノイ近郊でベトナム版浮世絵ドンホーの刷り体験が半日観光として定着したのと同じ道筋だ。工程を客に開くという発想が、補助金や保存運動とは別の生存戦略になりつつある。
「買い場」だった市場が、滞在して写真を撮る目的地に変わる
この現象は、タンディン市場という場所の役割そのものを変えつつある。市場はもともと食材や日用品を安く買う場だった。そこに「作る過程を見せる」体験が加わると、市場は観光客が滞在し、写真を撮り、時間を過ごす目的地に変わる。カントーで夜市と朝の水上市場をめぐるような、市場そのものを体験として楽しむ旅の延長線上に、この木靴作りは位置づけられる。ピンク色の外観で写真スポットとしても知られるタンディン市場は、1区の中心部からも近い。
混む午後を避けて午前に訪れ、待ち時間で周辺の乾物店も回る
木製サンダルを目当てにするなら、繁忙日は1日20足以上が出る人気ぶりを踏まえ、混雑する午後を避けて午前中に訪れるのが無難だ。ヒールは1センチから15センチまで幅があるため、普段履きなら低め、写真映えや特別感を求めるなら高めと、用途を決めてから店に向かうと選びやすい。完成まで15〜20分は市場に留まるので、その時間で周辺の食材店や乾物店をのぞく段取りにしておくと、市場全体を無駄なく楽しめる。約25万ドンで手に入るのは一足のサンダルであると同時に、職人が自分のために木を削ってくれた15分間でもある。既製の土産を選ぶ前に、この「作られる時間」に旅程を一枠あける価値がある。
