ベトナムの台所には、段を重ねて留め具で締める弁当箱がある。呼び名は「カーメン(cà mên)」。サイゴニアが2026年9月25日に出した記事は、この器の名がフランス語の gamelle から来ていること、配給の時代は誰のカーメンも中身が同じ貧しさだったこと、いまも病院の廊下で粥やフォーを運ぶことを、統治期の新聞広告から1988年の紙面まで遡って追っている。土産としては6万ドン台から買えて、20世紀の暮らしが手に残る日用品だ。
フランス兵が7〜8人で囲んだ大鍋が、名前だけベトナムに残った
gamelle はスペイン語 gamella を経てラテン語 camella にさかのぼる
語源はフランス語の gamelle。仏語・英語の辞書をあたると、1584年にスペイン語の gamella(飼い葉桶・容れ物)から入り、その先はラテン語の camella(仏語版の綴りは gamella、飲み物用の器)にたどりつく。英語版の辞書は gamelle の派生語としてドイツ語 Gamelle、イタリア語 gamella と並べてベトナム語の cà-mèn を挙げ、ベトナム語版ウィキペディアの見出し語「Cặp lồng」も別名に「Cà mèn(フランス語 gamelle)」と書く。
個人用の飯盒が軍で許可されたのは1833年、広まったのは1852年
もとの gamelle は個人の弁当箱ではない。フランス語版の辞書は、19世紀半ばまで兵士は7〜8人で1つの gamelle を囲んで食べ、個人用が認められたのは1833年、広がったのは1852年だという研究を引く。サイゴニアが「フランス式のカーメンは19世紀半ばから作られ、世界の戦場に広まった」と書く時期は、共用の大鍋から個人用へ切り替わった時期と重なる。
第二次世界大戦でフランス兵が使ったアルミのカーメンと、ベトナムの退役軍人が持っていたものが似た形だというのも、この延長にある。ただし同記事は、フランス人が持ち込んだ可能性に触れるだけで断定はしていない。語の由来と物の伝来経路は別ものとして書き分けられている。
配給の10年、カーメンの中身は誰のものも同じだった
1978年3月のハノイは1人1か月4kgの米しか買えなかった
「バオカップ(bao cấp)」と呼ばれる配給の時代は、全国では1976年初めから1986年末まで、切符(tem phiếu)で物が配られた期間を指す。サイゴニアは経済史家ダン・フォン(Đặng Phong、1937〜2010、ベトナム経済研究院で経済史部門を率いた)の記述として、1978年3月のハノイで1人1か月に買えた米は4kgで、残りはサツマイモとキャッサバだったと紹介する。配給米は安すぎて質が悪く、多くの人はそれを売って地方の米と交換した。1979年と1980年の食糧の収量と供出は1976年を下回った。
「カップロン幹部」と呼ばれた自転車通勤の光景
この時代、公務員はハンドルにカーメンを掛けて自転車で通い、弁当を持って働く人は「cán bộ cặp lồng(カップロン幹部)」と半ば冗談で呼ばれた。作家ドー・フアン(Đỗ Phấn)は、麺を混ぜた飯が底で餅のように固まり、落としたら道を数十メートル転がって止まったと振り返る。詩人タン・タオ(Thanh Thảo)は『Hà Nội – nhìn về phía tôi』に粗末なカーメンの中のハノイを書いた。1988年3月17日の労働紙(Lao Động)は医療従事者の賃金を扱った記事で、ある医師が記者に見せた中身を「米はほとんどなく、野菜がひと口、煮た落花生が数粒」と伝えている。器の中身が給与水準の記録になっていた。
結婚祝いに洗面器と魔法瓶とカーメンを贈った理由
経済が開く前は日用品そのものが手に入りにくく、軍から出た丈夫な品が使い回された。カーメンは洗面器や魔法瓶、布地と並ぶ結婚祝いの品になった。縁起ではなく、壊れず長く使えて手に入りにくいからだ。ソ連からの援助品は厚手で丈夫、国営店の汎用アルミは薄く一度落とすと歪んだ。この厚みの差は、いま棚で手に取るときの見方に使える。20世紀の生活の痕跡を探す動きは建物の側でも起きていて、モダニズム建築の愛好家グループが15万人規模に育った話と並べると残り方の違いが見えてくる。
病院の廊下と月極め定食に、いまも生き残っている
粥とフォーを運ぶ器として病棟にある
筆者が真っ先に挙げるのは職場の昼どきと病院である。見舞いの人が手から下げ、家で炊いた粥やいつもの店の温かいフォーを病室へ運ぶ。カーメンが現れること自体が回復の兆しに見える、という書き方だ。入院した家族や同僚を訪ねるとき食べ物を持っていく発想が生きている点は、在住者と出張者には実務の話でもある。
cơm tháng の4段・5段は映画の小道具にもなった
フランス統治期のサイゴンでは、月極めで食べられる定食「cơm tháng」の店がカーメンの舞台だった。同記事は、中部料理を出す Vi Tiên が新聞 Trung Lập Báo に出した広告を挙げる。住所は 42 rue Amiral Courbet、いまのグエン・アン・ニン通りにあたる場所で、カーメンに詰める持ち帰りを売り込んでいた。1938年の風刺紙 Vịt Đực には、夫に昼食を届ける自転車の主婦がレースを止める絵が載る。戦場では照明弾の反射で位置を知られないよう塗り潰すか布で巻き、保存と加熱、食器の代わりを1つで兼ねた。
映画『Quán Kỳ Nam』の cơm tháng 店に出るカーメンは4段と5段。小道具はアルマイト加工のアルミで側面に文様が入る。意匠はタイの伝統的なカーメンと重なり、カンボジアでは装飾入りを chan srak と呼んでプチュンバンの供え物や僧への贈り物に使う。家庭料理を店で食べる形は続いていて、ホーチミンでは路地の14席で一汁三菜を約30万ドンで出す朝食店のように値段の付け方を変えて残っている。
いくらで買えるのか、オンラインの実売価格を並べた
国産ステンレスは10万ドン台、日本ブランドは百万ドン台
通販サイト Tiki で「cà mên」「cặp lồng」を引いた2026年9月26日時点の出品価格が下の表だ。円はベトコムバンクの同日レート(電信買相場、1円=160.34ドン)で換算し、10万ドンが約624円。桁を1つ読み違えると10倍ずれるので、店頭では末尾のゼロを数える。
| Type | 出品価格(VND) | Yen conversion |
|---|---|---|
| 麦繊維タイプの4段 | 61,999〜92,000 | 約390〜570円 |
| ステンレス3段(1.4〜2L) | 109,000〜155,000 | 約680〜970円 |
| ステンレス304の厚手・保温強化 | 299,000〜343,850 | 約1,860〜2,140円 |
| 象印 SL-XE20-AD | 1,390,000 | 約8,670円 |
| タイガー LWU-F200(1.48L) | 1,559,000 | 約9,720円 |
価格は出品者が付けた値で送料は別、在庫も値付けも動く。面白いのは、日本の保温ランチジャーがベトナム語で「Cà Men」と売られている点だ。フランス兵の飯盒から来た言葉が、いまは日本製の容器を指す語にもなっている。
素朴なアルミ製は市場の棚で探すほうが早い
同じ検索で並ぶのは保温タイプばかりで、記事が写真で見せる素朴なアルミのカーメンは主要な通販カタログでは拾いにくい。探すなら市場の日用品売り場や金物屋の棚が早い。
土産にするなら段数と留め具と厚みを手で確かめる
cà mên / cặp lồng / cà mèn / gà mên は地域で呼び分かれる
同記事は、地域によって cặp lồng、cà mèn、gà mên とも呼ばれると書く。どの語が通じるかは場所で変わるので、4つとも口に出せると店で迷わない。段数を伝えるなら「3 tầng」と数字+tầng が通る。
帰国後に何を入れるかで選ぶ段数が変わる
段を分ける構造の利点は、マレーシアやシンガポールで同型が広まった理由と同じで、汁物と飯を別にできる点にある。実用にするなら厚手かステンレス製を選ぶ。薄いアルミが落とすと歪むのは国営店の汎用品について同記事が書くことで、土産物の棚でも当てはまる。金属製なので電子レンジには入れられず、温め直しは湯煎か鍋に移す前提だ。飾るなら文様入りのアルマイト加工が映える。工程を見てから買うと選び方が変わるのは真珠も同じで、フーコックの養殖場で母貝の世話から加工までを追った記事と合わせて読むと値段の内訳の見え方が変わる。
インドのダッバーワーラーとは残り方が違う
ムンバイは1890年に配達網へ、ベトナムは家族の手に残った
西洋の軍用食器が市民生活に入った例はベトナムだけではない。インドでは同型をティフィンと呼び、ダッバーワーラーという配達人の網が運ぶ。ムンバイの配達は1890年にマハデオ・ハヴァジ・バッチェが約100人で始め、午前遅くに集めて自転車と鉄道で届け、空容器は昼食後か翌日に戻す形が今も動く。インドは弁当箱を産業に育て、ベトナムは家族と個人の手に残した。
次にベトナムへ行くなら市場の日用品売り場で段数を数える
カーメンは値段が安いぶん、どれを買うかで差が出る。段数、留め具の締まり、板の厚み、文様の有無の4点を手で確かめれば、置物にするか実用品にするかが決まる。次にホーチミンやハノイへ行くなら、観光地の土産物屋より先に市場の日用品売り場か金物屋に寄り、段を数えて留め具を締めてみてほしい。


